言いたい放題 ~Hiikichi's BLOG=Ⅱ=~          

知っていること、知らないこと、知りたいこと、知りたくないこと・・・ この社会に対して色々思う事を書いてみるBLOGです。

独身シニアが知ったかぶりして親と子を怪説する(4)

ルソー著による「エミール」の上巻には、男親に対する次のような内容が書かれています。

子どもを養っているだけでは、父親としての務めの"三分の一"を果たしているに過ぎない。父親となる者は、人類に対して人間を与えなければならない。社会に対しては社会的人間を与えなければならない。

つまり、男は(女に子を産ませ)血筋を残すことだけが役目ではなく、自分の子を単なる"ヒト"ではなく社会的な"人間"に育てる義務がある、とルソーは書いたわけです。日本の漢字はそのような事を解説し易いのですが、"ヒト"は一文字の"人"でそのように読みます。つまり、一人の世界で生きられるのならば"ヒト"=個人で済む。対して"ニンゲン"は、"ヒトの間"と書いて人間です。つまり、ヒトとヒトの繋がりのある社会に生きられることが人間の条件となります。人間の社会に暮らす者が"ヒト"である事(=個人)を主張して曲げようとしないなら、社会性の無い者と決め付けられても致し方ない。我が子を自由気まま我が侭し放題のヒトにしてしまうような男は、「親」の責務を果たしたとは言えない。親として失格者の烙印を押されて当たり前という事になります。

 

「父としての義務を果たすことが出来ない人には父親になる権利は無い」

「貧困も、仕事も、世間への気がねも、自分の子どもを自分で養い育てる事を免れさせる理由にはならない」

早い話、父親になる資質もないくせして結婚して子を作り(今は、子が出来たから結婚する順序違いも多い)、中途半端な育て方しか出来ない糞みたいな男こそ社会悪である、とルソーは言い切っています。そして、そういう男と結婚して子を産むような女も同罪にあるわけです。

 

子どもにとって最初の公的な社会は学校です。が、ろくでもない子育てを受けた子どもは、本来、公的学校の生徒になる資質さえ持っていない。しかし我が国の現行法では、如何に雑な子育てを受けていても、その資質など問われずに学校へ通う事は可能です。それ故に、公的社会であるべき学校をまるで私物のように錯覚して自分の好き勝手に(学校)生活を送る。それに対して教師は何の力も持っていない。実力行使しようとすれば腐った馬鹿親やマスコミの餌食になり、何もしなければしなかったで多方面から叩かれる。

義務教育制度がある以上、学ばせることも国家の義務だが、馬鹿な親、馬鹿な世帯が大繁殖している我が国の社会では、公的社会へデビューする以前に(=学校入学以前に)子ども各人の社会性で隔たりが有り過ぎる。皆が皆、私学へ行けるわけではない。公的社会が用意した公立学校へ入学したが為に理不尽な苛めに遭った。それによって心が歪んだ。或いは自殺へ追い込まれた。そのような少年少女が多過ぎる。男女の恋愛時点で手を打たないと、今後もっと酷くなっていく。だから、出会い系の規制などにも打って出てるのだろうけど、問題はそこではない。公的な予算が圧倒的に足りていないことで、教師不足状態を解消出来ず、教師への無理強いが祟って教育の質の低下が加速度的に上がっていることです。

成人男女となって親となる。親となる者は必ず学校を通過する。だからこそ学校を充実させなければ何もかもダメであり、教師の役務を真剣に再考証するしかない。それと同時に、公金の集め方(つまり税徴収)と使途を徹底的に見直さなければならない。たかが年数限定の総理大臣が、まるで独裁者然に私的思考を国家に押し付けているような政治は止めさせるべきだ。ニッポン人が、ニッポン社会全体をもう一度本気で作り直さないと、有能な若い芽は花開く前に朽ち果てる。

 

※(多分(5)へ続けて、それで終わります)