言いたい放題 ~Hiikichi's BLOG=Ⅱ=~          

知っていること、知らないこと、知りたいこと、知りたくないこと・・・ この社会に対して色々思う事を書いてみるBLOGです。

独身シニアが知ったかぶりして親と子を怪説する(3)

「殴られたら殴り返せ。」「負けて、泣いて帰って来るな。」等々に類する言葉で子に檄を飛ばす親は、現在でも少なくないと思う。好意的に捉えるならば、それは「喧嘩に負けたくらいで委縮してはならない」という励ましの言葉。子ども時代に、ちょっとした事で友達と喧嘩になる事はあるし、喧嘩で勝ち負けはある。喧嘩の勝ち負けにより、友達に対して横柄となったり卑屈になってはならない。だから、今後も対等な友達同士で居たいのならば、殴られた分の半分くらいは殴り返せ、という意味でなら、そして友達同士の一対一の喧嘩でなら親の檄は間違っていない。しかし、殴り返せようと返せまいと、喧嘩の勝ち負けが友達同士の対等な関係を壊して、親分・子分のような上下関係となるのなら・・・

喧嘩で勝ったからって、友達に対して子分になることを強いるような奴はキッパリと見限って縁を切るべきだ。つまり、友達関係が成り立たないような相手との喧嘩には何の価値もないという事だ。価値のない喧嘩なら、勝っても利がない、負けたら尚の事悔しいだけ。価値のない相手との喧嘩は、勝っても負けても、相手の好さを気付くことが何もない。そして困ったことに、価値のない相手から受けた暴力の記憶はずっと心を傷つけたままでトラウマになり易い。

 

暴力で相手を従えさせるような奴とは握手するな。殴り合ったら心が通う?通いませんし、もしも心が通じ合った気になるのなら、それは自分自身の心が歪んでいるからだ。人を暴力的に従わすような腐った奴とは絶対に心を通じ合わせてはならない。絶対に理解してはならない。暴力を誇示する者を理解しようとするから、暴力的な奴がツケ上がる。 

抵抗して、その結果として殺されてしまった子もいる。それでも敢えて言います。暴力を肯定して人を従わすような奴には絶対に従うな。従う連鎖を止めろ。そして自分からは絶対に死ぬな。抗い続けろ。従うことに抗い続けることと卑怯なこと(=潔くないこと)は絶対に違う。理不尽な暴力からは逃げ続けていい。フランスのレジスタンスだって、成功するまで逃げ通した。逃げるのは、自分達の抵抗力を少しでも失わない為だ。そして連合軍と連携しナチス・ドイツを追い出してパリは解放された。

暴力を用いて苛めを愉しむような奴らに服従するよりも、逃げ続ける方が正しい。それを卑怯者なんて簡単に言う奴がいて挑発されようと気にする事はない。相手の暴力が怖いからと従ってしまうこと、暴力的な奴の腰巾着になる方がよっぽど卑怯です。それを履き違えているから、我が国は、周辺国家の暴力が怖いからとアメリカ合衆国核の傘に隠れている。自分の保身の為には核を肯定する(見て見ぬフリする)。そして然も正しい事のように自己擁護に徹する。自分の身に起こった核攻撃に対して「核廃絶!」を訴えた割には、自分達の身の安全の為の核なら肯定する。それは、自分が苛められるのは困るが、自分以外へ暴力が向いて自分が助かるのなら見て見ぬフリするのと一緒。

 

国家と個人はそりゃ違う。でも、個人の子育てがあり、育った子が有権者となって政治家を選び、政治家と有権者・国民が一体となって国家を育てる。それが政治。国民個人の力の結集が国家の力。暴力を見て見ぬフリする個人が増えれば、国家もそうなるのは当たり前。 

此方は、綺麗事を言うヤツ、人を苛めるヤツが本当に嫌いだし理解もしない。此方は綺麗事なんて言わない。

障害を抱える者、家庭環境に恵まれない者、体格その他が劣る者、そういう者を苛める奴の心は腐っている。親になる資質も無いのに親となり、正しい子育て(躾け)方法も知らないのに知った風に好き勝手に育てた。そのような親子を世の中に多く送り出した産めや育てやの「高度成長期」なんていう腐った時代こそがこの国家を狂わせた。

 

※(多分、(4)へ続きます)