言いたい放題 ~Hiikichi's BLOG=Ⅱ=~          

知っていること、知らないこと、知りたいこと、知りたくないこと・・・ この社会に対して色々思う事を書いてみるBLOGです。

独身シニアが知ったかぶりして親と子を怪説する(1)

人間は良い者として生まれているが、社会は人間を堕落させる」。

上述の言葉を残したのはジャン=ジャック・ルソー。1712年当時のジュネーヴ共和国に生まれ育って後、フランスで活躍した哲学家であり作曲家です。中江兆民島崎藤村、その他、明治維新を成した後の我が国では、著名な思想家や文学者がルソーを「教育論」の大家として絶賛したこともあり、ルソー作品の翻訳本が競って出版された。それを教師や親達の一部が読み、生徒指導や躾けに活かすようになる。明治や大正期の我が国の社会は外国に対してけっして閉鎖的ではなく、良いと思ったもの感じたものは率先して受け入れる風潮にあり、だからこそ西洋文化の取り入れ方も悪くはなかった。急速な成長を出来た故の驕り高ぶりと、その当時の世界的な軍事競争さえなければ、もっと違った社会発展が出来ただろうに、少し残念。付け足せば、フランス他ヨーロッパ諸国の社会がけっして良い社会とは言えないので、ルソーは、最初の一行を言い残したと言える。盲目的に欧米に学ぶのではなく、正しいことを学べば良い。欧米諸国に学び明治維新を成した我が国が、欧米諸国に否定され攻撃を受けた。欧米諸国の間に、アジアの国が欧米に肩を並べることを忌み嫌う風潮があったことは否定出来ないでしょう。欧米諸国の間に蔓延っていた、行き過ぎた自由による自己主義(利己主義)、自分の意見を言い過ぎる押しつけがましさと排他主義、それらが(戦前の)日本否定へ繋がったと言えなくもない。そしてまた我が国も、周辺諸国に対し我が国の立場を押し付け、傲慢になっていた。欧米を学び過ぎて自信が過信となった結果の失敗に他ならない。

という事はさて置き・・・

ルソーの教育方針は、親や教師が関与し過ぎない「消極的な教育」です。子どもは極力自然の発育に任せて、教師や親は、外部からの悪い影響を上手に防いでやるのが役目。その役目の本筋は、子どもに悪影響を及ぼすような社会を構築しない(悪い社会を構築するような大人を作らない)という至極当たり前のことです。

当たり前のことですが、当たり前を嫌う人間も多過ぎる現在(それが単に個性的であるだけなら問題もないが個性的を逸脱した悪人どもばかり)、子どもに悪い影響を与える環境が子ども社会の領域に対してごく普通に入り込んでいる。教師などいない方が、親などいない方が、寧ろ子ども達の成長にとってはその方が良い、と思わざるを得ないことさえ日常茶飯事に起きる。

 

 「子どもの自主性に対しては、外部からの悪い影響を防いでやるのが教師(大人)の役目」というルソーの考え方ですが、我が国も、明治~大正~昭和初期まではそれで良かったのだと思います。「学校で学ぶ」ことに対して、その姿勢がちゃんと身に着いていた子ども達、上手に子ども達の防護壁となっていた教師や親達。しかし、第二次世界大戦後、家長制度が崩壊して核家族家が進み尚且つ高度成長期のベビーブームが助長し、親の資質どころか夫婦の資質、いや、異性に対する思いやりに著しく欠ける者が無理矢理結婚し躾けも出来ないのに無理な子育てを行った。その反動で、学校には、其処へ何の為に通うのかさえ理解出来ない、学ぶ姿勢がまるで身に着かない子ども達が大挙押し寄せた。

教師達が外部に対する防護壁になれたにせよ、学校内にいる子ども達自身の中に次々と悪害要因が連鎖する。いわゆる腐ったミカンの理論宜しく、本当に腐りきった子ども達は、学校という閉じられた世界の中に"腐った自分達"だけが居心地の好い"社会"を築いていった。綺麗ごとばかりの愚かな教師どもは、外ばかりを見て、内部を見ようとしない。子どもが天使?馬鹿言うな。子どもほどの悪魔はいない。子ども達の腐った社会は妙な伝統として後輩へ受け継がれ、腐ったことさえ威張る(悪を誇る)ような、どうしようもなく幼稚な社会に慣れていく。だから、真っ当な大人の社会を嫌がる、怖がる、否定する。そして、行ってはならない方向へ進んでしまう。そのようにして社会の病巣は拡大し、幼稚な大人の腐り具合は、子ども社会の腐り具合を更に助長する。

そして腐った子ども達ばかりではなく、学校へは腐った親たちの要らざる関与が始まった。

 

※(2)へ続けます(何回書くか全く未定です)