言いたい放題 ~Hiikichi's BLOG=Ⅱ=~          

知っていること、知らないこと、知りたいこと、知りたくないこと・・・ この社会に対して色々思う事を書いてみるBLOGです。

政治家の言葉と心

目に見える視界でも、耳に届く音域でも、手が届かなければ触れられない。其処へ行かねば踏み込めない。しかし、人間の心は"実際"を超越する。際限がない。だから・・・

見えていないもの、見なくて済むものまで見えた気になる。聞こえないもの、聞こえなくて済むものまで聞こえた気になる。手に入らない、手に入れずともよいものまで、手に入れた、手に入れられる気になる。其処へ踏み込む必要など何もないのに、其処へ踏み込む、踏み込める気になる。

 

心には壁を作れない。心には鍵を掛けられない。心の領域が狭かろうが広かろうが、その重量を量ることなど絶対に出来ない。思い(想い)を積み重ねて生きている人の心は全て価値がありとんでもなく重い。絶対にお金では買えない無限の価値であり、絶対に秤では量れない重みがある。そして困ったことに、防御癖を築けない心だからこそ、色々とぶつかってすぐに傷がつく。一度傷ついたら二度と直せない。傷がいつまでも痛むか、それともその痛みに慣れてしまうか、それしかない。傷は治らないから同じような"部分"が何度も繰り返し傷つく。免疫力なんてつかない。痛むか痛まないかだけで、大なり小なり、必ず傷つく。

自分以外の全ての人間が、自分と同じように心を持っている人間だという事を人間は得てして忘れてしまう。自分だけが心を持っているように勘違いしてしまう。が、人間である以上、全ての者に心は備わっている。それを認めることが出来ないのは、心だけは何をどうしても、その姿・形を見ることが出来ないからだ。心の音を聞くことが出来ないからだ。心には触れられないし、心には踏み入ることが出来ない。ところが・・・

相手の心を分かったように勘違いして、心が見えたとか、読めたとか、心に触れたとか、心に踏み入れたとか、そのように言う横柄な者達が少なくない。逆に、心を読まれたとか、(ズカズカと)踏み込まれたとか、そのように言う者達もまた少なくない。心理学は広く知れ渡り、心の理を操れるように言うし、操られたように言う人が増えている。けれど、心なんて簡単に分かるもんじゃない。

簡単に分かるもんじゃないのに、相手の心(考え)をいとも簡単に分かったように言う者が少なくない。この事こそ、社会が総じて傲慢になっている事の証のように思える。そして、総じて傲慢になった社会の代表者が政治トップ(首相)なので、我が国の首相が反吐が出るほど傲慢な態度である事も頷ける。

 

有権者の側からは政治家の態度や表情はよく見えるし、言葉も聞こえる。「多対一」だからね。しかし、政治家の側は、一人一人の有権者の態度や表情を知ろうとはしないし知る必要性も感じていないだろう。必然的に、有権者の声を真摯に聞こうという姿勢は見えない。選挙区有権者の声さえ無視する代議士達が、まして、選挙区以外の全ての国民の心の叫びを聞こうとするわけがない。だから、首相のように、自分を支持する者以外を一緒くたにして「敵(あんな人達)」と断じてしまう。あの一瞬に"思わず口をついて出て来た言葉"ではなく、常日頃からそのように思っているからこそ、排他思考そのままの言葉になったに決まっている。

上述したように、心はすぐに傷つく。まして、自国の政治トップから、「俺を支持しないお前らは総じて敵だ」というニュアンスで論じられたら、心がズタズタにされた思いになるのは当たり前。

下に従える者がより多い者ほど、出来るだけ人の心に寄り添える言葉を発しなければならない。1億2千万の日本国民のトップに立つ首相だからこそ、出来るだけ多くの日本人に寄り添う言葉を使うべきなのだ。首相と自民党を支持するたかが30%程度が納得する言葉で良いわけがない。首相と自民党の支持者だけが日本国民ではない。1億2千万人全ての一人一人の顔を見て会話なんて出来ないからこそ、心に訴えかけられる言葉を使えることが重要。そんな事は分かって政治トップを目指された筈なのに、政治家としての基本姿勢を忘れてしまって傲慢過ぎる。

民の心を平気で傷つける者が政治トップに立てる国家は危険だと思う。それは自民党だけでなく、寧ろ、言葉が卑しく暴力的な野党政治家にこそ言えることでもある。