言いたい放題 ~Hiikichi's BLOG=Ⅱ=~          

知っていること、知らないこと、知りたいこと、知りたくないこと・・・ この社会に対して色々思う事を書いてみるBLOGです。

シュメール人が残してくれた大事なもの

「快楽のためには結婚、よく考えてみたら離婚」

「喜びに満ちた心で花嫁、悲しみに満ちた心で花婿」

人類太古の都市ウルジッグラト(古代期シュール人の神殿)付近に出土した粘土板には、当時の人々の暮らしに対する風刺文が色々刻まれている。

数千年以上も昔の人達の思いのままに、現在の日本で語らせたら、そこら辺の漫才師、漫談師よりも大ウケしそうな気がします。でも、男は(妻との)快楽を得るために結婚して、でも、生活のことをよくよく考えたら離婚に至るって、微笑ましいなんて言えないですよね。そして、花嫁(妻)が幸せに満ち足りていけばいくだけ、花婿(夫)は色々と追い詰められていく。男の(女性に対する)愚かさの歴史は・・・長いですね。

「楽しみ、それはビール。いやなこと、それは遠征」

「パンのあるときは塩はなし、塩があるときはパンがない」

「いつかは死ぬのだ、遣ってやろう。長くも生きたい、貯蓄しよう」

「友情は一日続くが、血の関係は永久に続く」 

他にも色々と書かれてあって、でも一番面白いのは、メソポタミアでもエジプトでも、太古の昔から「近頃の若い者は・・・」という言葉が各所に現れること。

兎も角・・・

夫婦(男女)観、死生観、快楽、物欲、友情その他、人の思い(心)というものは何千年経とうと、何万年経とうと、何も変わることは無いってことだけは分かる。

一日だけでいいから友達になってくれ、一晩だけでいいから寄り添ってくれ、なんていう付き合い方は大昔からあったという事も良く分かる。そして、そのようなことを繰り返すよりも家族、親族を大事にしなければならないという事を分かっている。けど、人は楽しみの誘惑には得てして負ける。

お金も、どうせ死ぬのだからパーッと遣ってしまおう・・・とか思っても、死なない(死にたくはない)と思えば遣うのやめて貯めておこうとする。昔も今も何も変わらないですね。そして、どうせなら、戦争よりは酒飲んで過ごしたい。当たり前だが、戦争なんて大昔から誰もが嫌っていたわけだ。でも・・・

 

歴史を書く学者や一般人達も、「この国家の最大版図はここまであった」とか「この王は大王となった」とかその他諸々、とにかく国の拡張具合に必死になる。大国に憧れ、小国の人々にも生活が営まれたことなど思いやれない。歴史を知って自国の現在に活かそうという人達が思い描くのは「防衛」と「(領域拡大含む)成長」。でも、歴史を知ることは、人の本質に迫ることでなければならないと常々思います。

此方も、過去の大帝国の版図に心躍った風に書く場合が多々あって、その書き方は間違っているなと後から反省することしきりです。国家の版図なんて、人の心の領域の広さに比べれば狭過ぎる。人の思いは宇宙の果てでも間に合わない。だから人は「無我の境地」にも達してしまう。目に見える領域の強固さに拘ってばかりいると、心の境界が剣先のようになって、誰彼構わずに傷つけてしまう。人はそうあってはならない、という事を古代シュメールの粘土板は教えてくれる。

 

何千年も経とうとしているのに、まだ(現代の)お前らは、女も理解出来ていなければ戦争の愚かさも理解出来ていないではないか、と。

シュメール人はドライで、且つユーモアもある。人生の悲哀も感じさせる。そして、現代人よりは「国家」の作り方を分かっていた。何故なら、最初に国家を創った人達だから。シュメール人が粘土板を残してくれたことを「粘土板」という遺物にだけ感謝していては歴史を知ったことにはならない。大事なものは手には取れなくても目には見えて来るし、耳には聞こえて来る。同じ、人だから。

 

※今回は、NHK出版の「四大文明」のメソポタミア版の取材記事を参考にさせて頂きました。