言いたい放題 ~Hiikichi's BLOG=Ⅱ=~          

知っていること、知らないこと、知りたいこと、知りたくないこと・・・ この社会に対して色々思う事を書いてみるBLOGです。

宇宙と心

スーパー大陸ゴンドワナか、若しくはユーラシアが出来上がった後か、兎も角、日本列島は、大陸から引っ剥がされて、更に太平洋上の火山島とぶつかり合い押し合いへし合いしながら現在の姿に出来上がった。(=≫参照記事

地球は眠っているどころか、地球は地球なりに宇宙時間の中でずっと起きているので、この先も日本列島に変化が起きることは十分に有り得ます。今発達中の西ノ島が、この先本州に近づいてくるかもしれない(遠ざかることも?)。その姿、見てみたいけど、高だか数十年しか生きられない"人間の"此方にはそれは無理でしょうけど。

 

今、この瞬間に、数万光年先の星から地球を見ている誰かがいるとする。その星の、時間の速度が地球と同じだと仮定して、超高性能の望遠レンズで地球の生活を覗いているとします。すると地球上では今はまだ、旧石器時代のご先祖様達が木の実を食らってる姿しか見えない事になる。だって、光の速度で数万光年も離れているわけですから、地球と同じ時間の速度であれば、現在の地球の姿は映りません。地球上で誰かと誰かがスマホで連絡取り合っているような姿は、その星からは、数万光年後にしか見る事が出来ない。地球の「今」を見ている"宇宙人"がもしもいるのなら、そのような光速スピードで生活しているその宇宙人達には何をやっても敵いません。

逆に、地球から数万光年先の星の地表を見ることが出来たとしても、実際のその星の「今」ではなく、その星の今から数万年過去の姿という事になる。地球から見て、今、何も無い星であっても、「本当の今」は地球以上に大発展している星かもしれない。

宇宙の果てまで飛んで行くって事は、とんでもなく科学技術が進化しないと絶対に不可能な事だけど・・・

宇宙を自由に旅する事が出来て尚且つ地球を観察し続けることが可能だとした場合、地球から離れて行く距離に比例して地球の歴史に近づく事になる。つまり、時空を超えて未来へ向かう科学技術を有することは、時空を超えて過去を解き明かせる技術を有することにもなり得る。2千数百光年離れた先にワープして、超巨大天体望遠鏡で日本を見てみたいよね。紀元前660年に初代天皇がご即位なされたという我が国の成り立ちってヤツの真実を知りたいじゃないですか。

 

ところで本当の「無」は、宇宙の果てを更に超えた先にしかない。其処(宇宙の果ての先)にしか無い、と言うのは其処(宇宙の果ての先)には有るという意味ではなく、宇宙の果ての先はまだ何も出来上がっていないから「何も無い」=絶対無という意味。

仏教系の宗教宗派に携わる人には「無」を説く人が多いように感じる。でも、「無」を説く一方で、無の世界にまで「光明が射す」とか言う。それは変。嘘です。無の世界には光明も何もないから無。

星空も何もない、何も見えない、空間さえも感じ取れない、本当に何もないから「無」。だから、見上げた先に「天」の存在を感じている間は、「無」など感じていないことになる。なので、「光明」や「無の存在」(無は存在しないのだからその言葉自体が有り得ない)をエラそうに説くような人は、実は大したことはない。だから、仏教を騙る胡散臭い勧誘には極力引っ掛からないように。有り難いお言葉は無きに等しい。

 

あれ?本当は日本列島の話から始めて、ブリテン諸島がヨーロッパから剥がれた話へ入り、ブリテンアイルランドの古代の話を書こうと思っていたのだけど全然ダメ。「無」の話から古代史の話へ行ける筈がないので、「心」の話でも書きます。

先日、漢字の感じ方というタイトルで「好き」とか「嫌い」を取り上げました(=≫参照記事)。

好き嫌いは心で感じることですが、心は宇宙のようなものです。心臓や脳があって心は機能するのでしょうけど、脳や心臓は見ることが出来ても心は見ることが出来ません。人間の体という絶対的な存在の中に"育つ"のに、心は見えない。でも、見えないからと言って「無」とは言い切れない。何処かに存在しているから心には持ち主(各人)がいてコントロールを受けている。

宇宙の最初は、何もない「無」であった筈の"何処"かで、いきなりわけの分からない破滅的な大爆発が起きたこと(ビッグバン)。 無の中に、ビッグバンが引き起こした超常現象の「世界」が物凄いスピードで「空間」を広める。空間だから、何かと何かの間のスペースなわけですが、その"何か"は宇宙であり、宇宙を構成する空間と空間を作る天体(=星)であり、際限なく拡散し続ける宇宙塵(=つまりゴミのようなもの)である。何がいきなり破滅的な大爆発を起こしたのかは分からないが、計算式も何も通用しない公式にない破裂であり、そこに無数の光=太陽が登場する。一つの太陽の周辺に幾つかの惑星や恒星が連なり一つの集合体(=太陽系)を形成する。その集合体(=太陽系)がいくつか集まって銀河を形成する(=銀河系)。そして「何々星雲」と呼ばれる集合体などもある。

ビッグバンは、現在の宇宙時間の中でまだ連続して起きていて、宇宙の果てを拡大し続けているのかもしれない。そもそも宇宙に果てという垣根など出来っこないのかもしれない。

 

現在の地球の科学技術の範囲では、何もない「無」の中に宇宙が誕生して138億年という事になっている。そして、宇宙誕生後90億年ほど経過して地球が地球らしく出来上がった。地球の年齢は約46億年という事になっている。惑星の平均寿命など知らないし、知ったところでどうってことないが、太陽には寿命があるのだろうか。そもそも、宇宙が拡大し続けている中で、現在の太陽までの距離は変わる事はないのだろうか。いやきっと科学では計算不可能な何かがあって、太陽の光が射し込まない時が来そうな気がする。そうした時、地球は超氷河期どころか全てが氷に閉ざされ、大気環境も全て変わりバランスを崩した地球内部の核が大破裂を起こして地球は粉々になる。地球の最後は、何処からか飛んできた巨大隕石の衝突がなくても、最後は木端微塵になる運命だ。それは無の中に生じて、拡大する宇宙の中にあるのだから避けられない。今この瞬間にも、何処かの惑星は粉々になって宇宙塵となっている。地球も必ずそうなる。

それでどうして心が宇宙なのか?

 

心も、その心の持ち主である誰かが自我に目覚めた時に突然その存在に気付く。宇宙の中で地球が目覚めた時のようなもの。

「思う」ことが出来るが、「思い通りにはならない」から赤ちゃんや子どもは駄々をこねる。癇癪玉を破裂させて泣き叫ぶ。宇宙でもいつも突然何かが起きて星が粉々になり飛び散っている。地球だって、突然自分を揺さぶり大地震を起こしたり、火山の大噴火を起こしたり、時には絶望的な冷気を運んだりする。思ったままの動きではなく、思い通りにならない事による反動を起こすのが心というものの厄介さ。

心にとって、太陽のような存在が「希望」。そして真逆の「絶望」もある。太陽である希望が遠ざかれば心は冷え切って絶望する。

心の量や領域は絶対に量れない。宇宙の量や領域が量れないのと一緒。繰り返しだけど、宇宙はコントロール不可能だし心もコントロール出来ない。心はコントロール出来ないし、心が壊れた人は何かしら他人に迷惑をかける、或いは傷つけ、或いは他人を殺す。宇宙もコントロール出来ないし、ある天体が破裂すれば他の天体にその影響を及ぼすこともあり得る。

心を持つ人間は死ねば無になる・・・筈。宇宙も死ねば無に帰す・・・筈。なので心は宇宙のようなもの。オチにも何にもなりません。オチも着かない、落ち着かないと心は乱れます。こんなつまらん文章を最後まで読まされたあなた・・・きっとムカついてますよね、ごめんなさい。