言いたい放題 ~Hiikichi's BLOG=Ⅱ=~          

知っていること、知らないこと、知りたいこと、知りたくないこと・・・ この社会に対して色々思う事を書いてみるBLOGです。

卓犖闊達

幕末から明治期にかけて(いや、現在迄もと書いておかないとお叱りを受けそうですが)肥前佐賀は多くの偉人・賢人を輩出した。その原動力となった一つは佐賀鍋島藩八代目藩主・鍋島治成の命によって設立された藩校「弘道館」で間違いない。弘道館は、歴代佐賀藩主の中でも最も優れていたと誰もが認める鍋島直正の教育重視政策によって天下三弘道館として、水戸、但馬の弘道館と並び称される充実を見せる。が、恐らくは天下一の弘道館と称しても異論はない出されない程、傑出した藩校だと思います。

弘道館と共に幕末当時の佐賀藩士の国家政治に対する意識の高さを裏付ける象徴が「義祭同盟」。義祭同盟は尊王思想を広め倒幕を成すことを目的に組織された政治結社ですが、設立の中心となったのは水戸の藤田東湖と並び「東西二傑」と称された枝吉神陽副島種臣の実兄)。神陽は、コレラに罹った妻の看病により自身もコレラ感染し、志半ばの文久3年(1863年)に、享年41歳の若さでこの世を去った。神陽が存命であったなら、明治維新の形、その後の征韓論佐賀の乱による佐賀勢の失脚は起きなかったとも言われる。という事は、九州の中心地は現在の福岡ではなく佐賀であったかもしれない。恐らく、現在の佐賀人の中には、酒飲む度にそういう話を面白おかしくやってくれる人も居そうだから佐賀で酒飲みたいなとも思うけど、何故か、佐賀に近い位置で生まれ育った割には佐賀とは縁がない。という事はさて置いて・・・

 

弘道館や義祭同盟で、1歳年上の大隈重信と行動を共にしたことで知られる久米邦武という人がいます。この人についてはあまり好まれない面があり、好まれない面とは、恐らくは征韓論を正当化する主旨での事であろうけど「日鮮同祖論」の急先鋒だった事。あ、書いた瞬間から虫唾が走る(苦笑)朝鮮半島の者達と祖先を同じとする・・・考えただけで悪寒が走る。が、人類は遡って行けば何処かで繋がっているであろうから今日だけは気にせずに先を進めます。

久米邦武よりは洋画家である息子・久米桂一朗の方を知っているという絵画好きの人もいるかもしれませんが、桂一朗は高名な洋画家・黒田清輝と同い年の友人であり、作品群は東京の久米美術館に展示されているらしい。此方は知らない人でした。邦武と桂一朗はあまり長年仲違いしていたらしく、しかし、それでは良くないと親子仲を取り持ったのは大隈重信という事です。久米美術館には、桂一朗の作品だけではなく、邦武の著作物の展示もあるらしいので、また東京へ行ったときに、この事を覚えていたら寄って見ようかな?

 

久米邦武は、明治4年(1871年)の特命全権大使岩倉具視の使節団の一員に選ばれて欧米視察の旅に出ます。この時、佐賀の英才として名を知られていた邦武には様々な役務が与えられていたのですが、"枢密記録等取調兼各国の宗教視察"、"視察紀行簒輯専務心得"などが知られています。この役務が無かったとしたら(歴史にタラればは無いのですが)、大隈重信よりもワンランク上だったと言われ、弘道館の成績でも常に首席だった邦武は、首相になれる器であったかもしれない。しかし、邦武は約2年に及んだ(正確には1年9か月?)視察からの帰国後に太政官の吏員となり、この欧米視察で見聞した全てを独力で執筆することに専念します。そして明治11年(1878年)に全百巻に及ぶ『特命全権大使 米欧回覧実記』の編集を完成させる。この時、40歳。そしてこの執筆物だけで当時の金で500円を政府から得て、その金で目黒に広大な土地を購入。更に、桂一朗のフランス留学資金を出して尚有り余ったと言われるので、今ならいくら位の価値があったんだろうか。この執筆物は、その後の我が国が、欧米を正しく真っ直ぐ見る為の本当に貴重な資料となった。それ位の言わば国宝級の価値を認められた500円だったのでしょう。

更に、『大日本編年史』など国史の編纂にも多大に寄与した邦武は、政治家ではなく、稀代の歴史家としての道を歩まざるを得ない立場となっていたのでしょう。だから、政治のことは盟友である大隈重信に託した。そして、昭和6年まで生き、91歳で世を去った。こういう人がもう少し若くて、あと10年でも長生きしてくれていたら、第二次世界大戦との関わり方も違っていたのではないかな・・・と思いたいところです。

 

そして今回の表題、「卓犖闊達(たくらくかったつ)」は、邦武が、当時のアメリカ合衆国を評した中に記した言葉。その意味は、とびっきり自由であること。

邦武は、当時のアメリカ合衆国を、「欧州の自主の精神、特にこの地に集まり、その事業も自ずから卓犖闊達にて、気力はなはだ盛んなり。・・・(以降の文は省略)」と評したと共に、イギリスは、アメリカ合衆国をインドのように扱えると勘違いしたが、だからアメリカ合衆国の独立を阻めずに搾取も出来ずに敗退した。アメリカ合衆国の強さは、インドとは異なる自主の民の強さに外ならず、イギリスはそれを理解していなかった。・・・等々と分析している。

そのアメリカ合衆国も、アメリカ合衆国によく学んだ筈の我が国も、現在は、窮屈でギスギスしていて卓犖闊達とはかけ離れつつあります。明治の日本が目指したのは卓犖闊達な日本であり、それは成功へ向かったのに、何かを間違ってとん挫した。だから、本当の日本の保守政治は、現在の自民党政治のような団結主義ではなく、個人個人が能力を発揮できる卓犖闊達な社会を目指すべき。明治日本が、そして大正日本が目指した国家を更にもっと良い形にしたとびっきり楽しい自由主義国家が欲しい。