言いたい放題 ~Hiikichi's BLOG=Ⅱ=~          

知っていること、知らないこと、知りたいこと、知りたくないこと・・・ この社会に対して色々思う事を書いてみるBLOGです。

宇宙と心

スーパー大陸ゴンドワナか、若しくはユーラシアが出来上がった後か、兎も角、日本列島は、大陸から引っ剥がされて、更に太平洋上の火山島とぶつかり合い押し合いへし合いしながら現在の姿に出来上がった。(=≫参照記事

地球は眠っているどころか、地球は地球なりに宇宙時間の中でずっと起きているので、この先も日本列島に変化が起きることは十分に有り得ます。今発達中の西ノ島が、この先本州に近づいてくるかもしれない(遠ざかることも?)。その姿、見てみたいけど、高だか数十年しか生きられない"人間の"此方にはそれは無理でしょうけど。

 

今、この瞬間に、数万光年先の星から地球を見ている誰かがいるとする。その星の、時間の速度が地球と同じだと仮定して、超高性能の望遠レンズで地球の生活を覗いているとします。すると地球上では今はまだ、旧石器時代のご先祖様達が木の実を食らってる姿しか見えない事になる。だって、光の速度で数万光年も離れているわけですから、地球と同じ時間の速度であれば、現在の地球の姿は映りません。地球上で誰かと誰かがスマホで連絡取り合っているような姿は、その星からは、数万光年後にしか見る事が出来ない。地球の「今」を見ている"宇宙人"がもしもいるのなら、そのような光速スピードで生活しているその宇宙人達には何をやっても敵いません。

逆に、地球から数万光年先の星の地表を見ることが出来たとしても、実際のその星の「今」ではなく、その星の今から数万年過去の姿という事になる。地球から見て、今、何も無い星であっても、「本当の今」は地球以上に大発展している星かもしれない。

宇宙の果てまで飛んで行くって事は、とんでもなく科学技術が進化しないと絶対に不可能な事だけど・・・

宇宙を自由に旅する事が出来て尚且つ地球を観察し続けることが可能だとした場合、地球から離れて行く距離に比例して地球の歴史に近づく事になる。つまり、時空を超えて未来へ向かう科学技術を有することは、時空を超えて過去を解き明かせる技術を有することにもなり得る。2千数百光年離れた先にワープして、超巨大天体望遠鏡で日本を見てみたいよね。紀元前660年に初代天皇がご即位なされたという我が国の成り立ちってヤツの真実を知りたいじゃないですか。

 

ところで本当の「無」は、宇宙の果てを更に超えた先にしかない。其処(宇宙の果ての先)にしか無い、と言うのは其処(宇宙の果ての先)には有るという意味ではなく、宇宙の果ての先はまだ何も出来上がっていないから「何も無い」=絶対無という意味。

仏教系の宗教宗派に携わる人には「無」を説く人が多いように感じる。でも、「無」を説く一方で、無の世界にまで「光明が射す」とか言う。それは変。嘘です。無の世界には光明も何もないから無。

星空も何もない、何も見えない、空間さえも感じ取れない、本当に何もないから「無」。だから、見上げた先に「天」の存在を感じている間は、「無」など感じていないことになる。なので、「光明」や「無の存在」(無は存在しないのだからその言葉自体が有り得ない)をエラそうに説くような人は、実は大したことはない。だから、仏教を騙る胡散臭い勧誘には極力引っ掛からないように。有り難いお言葉は無きに等しい。

 

あれ?本当は日本列島の話から始めて、ブリテン諸島がヨーロッパから剥がれた話へ入り、ブリテンアイルランドの古代の話を書こうと思っていたのだけど全然ダメ。「無」の話から古代史の話へ行ける筈がないので、「心」の話でも書きます。

先日、漢字の感じ方というタイトルで「好き」とか「嫌い」を取り上げました(=≫参照記事)。

好き嫌いは心で感じることですが、心は宇宙のようなものです。心臓や脳があって心は機能するのでしょうけど、脳や心臓は見ることが出来ても心は見ることが出来ません。人間の体という絶対的な存在の中に"育つ"のに、心は見えない。でも、見えないからと言って「無」とは言い切れない。何処かに存在しているから心には持ち主(各人)がいてコントロールを受けている。

宇宙の最初は、何もない「無」であった筈の"何処"かで、いきなりわけの分からない破滅的な大爆発が起きたこと(ビッグバン)。 無の中に、ビッグバンが引き起こした超常現象の「世界」が物凄いスピードで「空間」を広める。空間だから、何かと何かの間のスペースなわけですが、その"何か"は宇宙であり、宇宙を構成する空間と空間を作る天体(=星)であり、際限なく拡散し続ける宇宙塵(=つまりゴミのようなもの)である。何がいきなり破滅的な大爆発を起こしたのかは分からないが、計算式も何も通用しない公式にない破裂であり、そこに無数の光=太陽が登場する。一つの太陽の周辺に幾つかの惑星や恒星が連なり一つの集合体(=太陽系)を形成する。その集合体(=太陽系)がいくつか集まって銀河を形成する(=銀河系)。そして「何々星雲」と呼ばれる集合体などもある。

ビッグバンは、現在の宇宙時間の中でまだ連続して起きていて、宇宙の果てを拡大し続けているのかもしれない。そもそも宇宙に果てという垣根など出来っこないのかもしれない。

 

現在の地球の科学技術の範囲では、何もない「無」の中に宇宙が誕生して138億年という事になっている。そして、宇宙誕生後90億年ほど経過して地球が地球らしく出来上がった。地球の年齢は約46億年という事になっている。惑星の平均寿命など知らないし、知ったところでどうってことないが、太陽には寿命があるのだろうか。そもそも、宇宙が拡大し続けている中で、現在の太陽までの距離は変わる事はないのだろうか。いやきっと科学では計算不可能な何かがあって、太陽の光が射し込まない時が来そうな気がする。そうした時、地球は超氷河期どころか全てが氷に閉ざされ、大気環境も全て変わりバランスを崩した地球内部の核が大破裂を起こして地球は粉々になる。地球の最後は、何処からか飛んできた巨大隕石の衝突がなくても、最後は木端微塵になる運命だ。それは無の中に生じて、拡大する宇宙の中にあるのだから避けられない。今この瞬間にも、何処かの惑星は粉々になって宇宙塵となっている。地球も必ずそうなる。

それでどうして心が宇宙なのか?

 

心も、その心の持ち主である誰かが自我に目覚めた時に突然その存在に気付く。宇宙の中で地球が目覚めた時のようなもの。

「思う」ことが出来るが、「思い通りにはならない」から赤ちゃんや子どもは駄々をこねる。癇癪玉を破裂させて泣き叫ぶ。宇宙でもいつも突然何かが起きて星が粉々になり飛び散っている。地球だって、突然自分を揺さぶり大地震を起こしたり、火山の大噴火を起こしたり、時には絶望的な冷気を運んだりする。思ったままの動きではなく、思い通りにならない事による反動を起こすのが心というものの厄介さ。

心にとって、太陽のような存在が「希望」。そして真逆の「絶望」もある。太陽である希望が遠ざかれば心は冷え切って絶望する。

心の量や領域は絶対に量れない。宇宙の量や領域が量れないのと一緒。繰り返しだけど、宇宙はコントロール不可能だし心もコントロール出来ない。心はコントロール出来ないし、心が壊れた人は何かしら他人に迷惑をかける、或いは傷つけ、或いは他人を殺す。宇宙もコントロール出来ないし、ある天体が破裂すれば他の天体にその影響を及ぼすこともあり得る。

心を持つ人間は死ねば無になる・・・筈。宇宙も死ねば無に帰す・・・筈。なので心は宇宙のようなもの。オチにも何にもなりません。オチも着かない、落ち着かないと心は乱れます。こんなつまらん文章を最後まで読まされたあなた・・・きっとムカついてますよね、ごめんなさい。

卓犖闊達

幕末から明治期にかけて(いや、現在迄もと書いておかないとお叱りを受けそうですが)肥前佐賀は多くの偉人・賢人を輩出した。その原動力となった一つは佐賀鍋島藩八代目藩主・鍋島治成の命によって設立された藩校「弘道館」で間違いない。弘道館は、歴代佐賀藩主の中でも最も優れていたと誰もが認める鍋島直正の教育重視政策によって天下三弘道館として、水戸、但馬の弘道館と並び称される充実を見せる。が、恐らくは天下一の弘道館と称しても異論はない出されない程、傑出した藩校だと思います。

弘道館と共に幕末当時の佐賀藩士の国家政治に対する意識の高さを裏付ける象徴が「義祭同盟」。義祭同盟は尊王思想を広め倒幕を成すことを目的に組織された政治結社ですが、設立の中心となったのは水戸の藤田東湖と並び「東西二傑」と称された枝吉神陽副島種臣の実兄)。神陽は、コレラに罹った妻の看病により自身もコレラ感染し、志半ばの文久3年(1863年)に、享年41歳の若さでこの世を去った。神陽が存命であったなら、明治維新の形、その後の征韓論佐賀の乱による佐賀勢の失脚は起きなかったとも言われる。という事は、九州の中心地は現在の福岡ではなく佐賀であったかもしれない。恐らく、現在の佐賀人の中には、酒飲む度にそういう話を面白おかしくやってくれる人も居そうだから佐賀で酒飲みたいなとも思うけど、何故か、佐賀に近い位置で生まれ育った割には佐賀とは縁がない。という事はさて置いて・・・

 

弘道館や義祭同盟で、1歳年上の大隈重信と行動を共にしたことで知られる久米邦武という人がいます。この人についてはあまり好まれない面があり、好まれない面とは、恐らくは征韓論を正当化する主旨での事であろうけど「日鮮同祖論」の急先鋒だった事。あ、書いた瞬間から虫唾が走る(苦笑)朝鮮半島の者達と祖先を同じとする・・・考えただけで悪寒が走る。が、人類は遡って行けば何処かで繋がっているであろうから今日だけは気にせずに先を進めます。

久米邦武よりは洋画家である息子・久米桂一朗の方を知っているという絵画好きの人もいるかもしれませんが、桂一朗は高名な洋画家・黒田清輝と同い年の友人であり、作品群は東京の久米美術館に展示されているらしい。此方は知らない人でした。邦武と桂一朗はあまり長年仲違いしていたらしく、しかし、それでは良くないと親子仲を取り持ったのは大隈重信という事です。久米美術館には、桂一朗の作品だけではなく、邦武の著作物の展示もあるらしいので、また東京へ行ったときに、この事を覚えていたら寄って見ようかな?

 

久米邦武は、明治4年(1871年)の特命全権大使岩倉具視の使節団の一員に選ばれて欧米視察の旅に出ます。この時、佐賀の英才として名を知られていた邦武には様々な役務が与えられていたのですが、"枢密記録等取調兼各国の宗教視察"、"視察紀行簒輯専務心得"などが知られています。この役務が無かったとしたら(歴史にタラればは無いのですが)、大隈重信よりもワンランク上だったと言われ、弘道館の成績でも常に首席だった邦武は、首相になれる器であったかもしれない。しかし、邦武は約2年に及んだ(正確には1年9か月?)視察からの帰国後に太政官の吏員となり、この欧米視察で見聞した全てを独力で執筆することに専念します。そして明治11年(1878年)に全百巻に及ぶ『特命全権大使 米欧回覧実記』の編集を完成させる。この時、40歳。そしてこの執筆物だけで当時の金で500円を政府から得て、その金で目黒に広大な土地を購入。更に、桂一朗のフランス留学資金を出して尚有り余ったと言われるので、今ならいくら位の価値があったんだろうか。この執筆物は、その後の我が国が、欧米を正しく真っ直ぐ見る為の本当に貴重な資料となった。それ位の言わば国宝級の価値を認められた500円だったのでしょう。

更に、『大日本編年史』など国史の編纂にも多大に寄与した邦武は、政治家ではなく、稀代の歴史家としての道を歩まざるを得ない立場となっていたのでしょう。だから、政治のことは盟友である大隈重信に託した。そして、昭和6年まで生き、91歳で世を去った。こういう人がもう少し若くて、あと10年でも長生きしてくれていたら、第二次世界大戦との関わり方も違っていたのではないかな・・・と思いたいところです。

 

そして今回の表題、「卓犖闊達(たくらくかったつ)」は、邦武が、当時のアメリカ合衆国を評した中に記した言葉。その意味は、とびっきり自由であること。

邦武は、当時のアメリカ合衆国を、「欧州の自主の精神、特にこの地に集まり、その事業も自ずから卓犖闊達にて、気力はなはだ盛んなり。・・・(以降の文は省略)」と評したと共に、イギリスは、アメリカ合衆国をインドのように扱えると勘違いしたが、だからアメリカ合衆国の独立を阻めずに搾取も出来ずに敗退した。アメリカ合衆国の強さは、インドとは異なる自主の民の強さに外ならず、イギリスはそれを理解していなかった。・・・等々と分析している。

そのアメリカ合衆国も、アメリカ合衆国によく学んだ筈の我が国も、現在は、窮屈でギスギスしていて卓犖闊達とはかけ離れつつあります。明治の日本が目指したのは卓犖闊達な日本であり、それは成功へ向かったのに、何かを間違ってとん挫した。だから、本当の日本の保守政治は、現在の自民党政治のような団結主義ではなく、個人個人が能力を発揮できる卓犖闊達な社会を目指すべき。明治日本が、そして大正日本が目指した国家を更にもっと良い形にしたとびっきり楽しい自由主義国家が欲しい。 

漢字の感じ方

此方に学がない事は度々お伝えしています。なので、文章が読み辛く、何を言いたいのか支離滅裂で、人様にお越し頂けるようなBLOGでは無いのですが、それは百も承知で今日も書きます。本日は、"漢字の感じ方"。

このような事は、我が国が漢字を導入して以降、数多の人が書いていることなので、それを今さら此方が書いてどうするの?と思いますが、今日はネタが無いので。

 

好きな人の話より、嫌いな人の話(つまり悪口)の方が何故か盛り上がる。ニュースでも、良い話題はそこそこで終わり、悪い話題は尾ひれをつけてどんどん広がって行く。「好き」の範囲は限定的でその持続も難しく、「嫌い」の範囲は無限で嫌い続けることは意外と楽、ということもある。という「好き」と「嫌い」を漢字で感じてみます。

「好」の字を分解すると「女」と「子」です。

「嫌」の字を分解すると「女」と「兼」です。

女と子どもは、昔から好かれる対象なのに男は?男は「田(田んぼ)」を支える「力」です。田は、命の素であり女性そのもので、引いては田があって子を成すのだから新たな命である子も含まれる。女と子どもを支える力を持っていてこそ男です。女、子どもを支える力を失い泣いているような女々しい男は嫌われる。読んで字の如し、女を兼ねれば(重ねれば)女々しい。つまり、男のくせして女を装うような女々しいのは嫌われる、って事です。

男目線で申し訳ないですが、男が女から好かれようと本気でそのように思うのならば、女の力となって支え、子の力となって支え、引いてはしっかりと田に汗して(労働して)生計の力となって支えなければならない。だから「田」の「力」で男です。

男女同権は百も承知、男女平等も百も承知で書いたこと。文句もあるでしょうが、字にはそういう意味も読み取れるでしょう。

 

以上は、男と女での好き嫌いの話ですが(同性愛の人もいるでしょうけど)、〆は、好きな人達や嫌いな人達に対する感情のコントロールをどうするべきかの話です。

好きや嫌いは気持ちの問題、「気」の「持ち様」です。

好きな人達への思いは、大方、心地好い(気持ち良い)。恋ごころは別ですよ。切なくもなるし、嫉妬心で(自分のことが)イヤになることもある。

嫌いな人達のことは、その人達のことを思えば思うほど心地悪い(気分が悪い)。イチイチ気に障る(癪に障る)し、イライラもさせられます。それはあまり良い状態とは言えない。ではどうすれば?早い話、嫌いにならなければ良い。しかし、一度嫌ってしまったものを"嫌いじゃない状態"へ戻すのはなかなか難しい。それは時に解決を任せ、出来るだけ思わない(忘れている)ようにするしかない。極力距離を置いて視界に入れない状態を持続させるしかない。解決方法はそれしかないと思いますが、そういう事にならないように、出来るだけ相手を嫌わないようにする。

「好き」「嫌い」じゃなくて、「気に入った」「気に入らない」を判断材料として付き合う。相手の言葉や態度が心地好いものであれば気に入ったことになり、心地悪ければ気に入らないことになる。「気」は「心の中」にあって普段はその表情を見せないが、気に入ったものに刺激されればにこやかな表情となって顔に出て、気に入らないものに刺激されれば顰めっ面を隠しきれなくなる。

気に入らない(=心が受け付けない)相手というのは誰にだって在る。でも、気に入らない相手だからって、イチイチ嫌っていたらキリがない。嫌うから気に掛かる。つまり、気に掛けなければ嫌う必要もない。気に入らないと思ったらそれ以上、特に気に掛けなければ良い。必要ならば必要なだけの話もするが、特に必要もなければ挨拶程度で済ます。嫌ってしまえば、必要な話さえ出来なくなる。話が出来ないから(話し合いが出来ないから)敵対する。必要な話さえ出来ない状況は、人を卑屈にする。嫌いな相手の存在によって卑屈になるのは間尺に合わないでしょう。「嫌い」ではなく「どうでもいい」相手に思えればそれで済む。特に気に掛けてもいなければ、気に障る言葉や態度があったにせよ上手にやり過ごせる筈ですよね。

・・・尤も、彼の国々に対してはまだ感情コントロール出来ない部分が多々あり、更に我が国の政治・社会に対しても嫌う部分が多々あって、まだまだ修行は足りませぬ。

 

今回は、昨日久々に訪問したBLOG様に書いてきたメッセージが中途半端だったものですから、付け足しの意味合いで書きました。いつも思いつきで書くので文が乱暴過ぎて申し訳ないです。

物理学者の予言

第四次世界大戦が起こった時、武器となるのはただの石

そのような事を断言した人は、1921年に「光電効果の法則の発見等」の功績によってノーベル物理学賞を受賞したアルバート・アインシュタイン(1879年3月~1955年4月)。

一般的には、原子力エネルギーの解放、ひいては核兵器の生産にも繋がる相対性理論の発見者と言われるアインシュタイン氏を指して、恰も「原子力爆弾の理論を発見した」人のように思っている人も少なくない。しかし、アインシュタイン氏は反戦主義者としても知られていて、実際の原子力爆弾開発~製造~実験計画(=マンハッタン計画)には誘われてはいないし、参加していない。誘われなかった理由は、反戦主義者の彼が、計画の邪魔をする可能性を恐れられた為。つまり、アインシュタイン氏は、原爆製造には関与していない。勘違いしている人がいたら、脳内情報の訂正を。

アインシュタイン氏はユダヤ人の親を持って生を受けますが、けっして敬虔なユダヤ教徒ではなかった。氏が生きている間にイスラエルは建国されますが、母国ドイツ~兵役拒否して無国籍~スイス国籍~オーストリア・ハンガリー帝国国籍~ドイツ帝国国籍~ドイツ国籍~そして最後はアメリカ合衆国民として没します。実は、イスラエル建国には腐心したそうです。そして、第二代イスラエル大統領への就任を要請されますが、健康上の理由もあり辞退しています。それでも、ヘブライ大学に著作権を送るなどユダヤ人であることに幾ばくかの誇りも持っていた。

 

原子力爆弾はユダヤ人(ユダヤ系)が造ったと言われますが、それがアインシュタイン氏が勘違いされる最大の原因でしょうけど別の人です。マンハッタン計画の主導者はユダヤ系アメリカ人のジュリアス・ロバート・オッペンハイマー(1904年4月生~1967年2月)。この人の卓越したリーダーシップが発揮されていなければ原子陸爆弾開発の成功は無かったとも言われることから「原爆の父」の異名で称されます。

日本人としてはオッペンハイマー氏の功績など称えることは出来ませんが、この人は、当初は、原子力爆弾の驚異的な破壊力を(実験段階で)見せつけて、戦争で使うことなど絶対に出来ないと思わせるつもりだった。それ以前に、核爆弾の存在を世に知らしめ、戦争を無意味化するつもりだったとも言っている。が、まるで通常爆弾のように広島と長崎で使用された。オッペンハイマー氏が第二次世界大戦後に残した言葉は「(物理の)科学者は罪を知った」。しかし、物理学者が広島、長崎をどんなに後悔したにせよ、狼は野に放たれたの如く、現在も核開発競争は続いている。

 

アインシュタインオッペンハイマー。両氏には親交もあったようですが、マンハッタン計画に参加していなかったアインシュタインは、プリンストン高等研究所の後輩でもあるオッペンハイマーが主導して製造した原爆投下を知り、そして両都市の惨状に絶句する。 「我々は戦いには勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」と演説したアインシュタイン氏は、我が国をこよなく愛した外国人でもあった。来日自体は、1922年の43日間にも及ぶ滞在のみだったようですが、当時の多くの日本人と親交を持っていた。アインシュタインがご子息に宛てた(戦前の)手紙に「私が会った全ての人々の中で、日本人が一番好きだ。謙虚で物分かりや察しがよく、技術に対する勘があるから」と書いていたことは有名です。その日本に対して核攻撃を行ったアメリカ合衆国民であればこそ出来ること(科学者としてなすべきこと)を即座に実行する。

原子科学者緊急委員会議長の役目を引き受けた事と、国連総会に対して世界政府の樹立を提唱した事。その二つは、相対性理論が原爆のような驚異的な威力の開発に生かされることを予想出来ていながら、まさかそれが戦争の武器になったこと、そして愛した日本へ向かったことへの 強い後悔の念によるものとされる。彼は、もしも広島と長崎を予見出来ていたのなら、1905年(特殊性相対性理論発表年)を無きものとしたいとも嘆いた。そして冒頭の言葉を残した。

つまり、再び核戦争を用いる第三次世界大戦が起これば、地球は文化の何もかもを失いただの石っころが転がるだけの星となる、と予言して世を去ったわけです。

 

ところで此方は、アインシュタイン氏の提唱した世界政府なんて絶対に不可能と思っていて、核廃絶も不可能と思っています。が、戦争は起きないに越したことはないし、核兵器も使われないに越したことはない。「もしも使った場合には・・・」の罪科云々の話より、絶対に使わないで済む建設的な話を欲します。理想論に過ぎないだろうけど、理想的な姿をイメージ出来なければ、それを追求することなど絶対に不可能。眠っている間にしか見れない夢より、皆それぞれが起きている間に必死になって平和構築手段を希求するべきだ。が・・・此方はもう眠いから寝る。快眠こそ健康の素であり、体の健康こそ心の健康に欠かせず、心の健康を皆が持てば戦争は起きない・・・かもね。

言葉を端折られる怖さ

前回、アルトゥル・ショーペンハウアー氏を賢才と持ち上げましたけど、奇才や異才と表記するのが正しい御仁であることは、この人の人物像を知っている多くの人が口を揃えることでしょう。

兎に角、自己愛に終始して、自分以外の者の才能を認めず、自分を高く評価しない者は敵と見做すか愚人と見做す。これほど我が侭な人も珍しいのですが、これほど我が侭な人に影響を受けたという偉人が多いのも珍しい。ショーペンハウアー氏に影響を受けたという人達は、この人の(孤独を屁とも思わない)強さに惹かれたのかもしれません。偉才、賢才、鬼才、秀才、天才、異才、奇才等々、特別な人達がしのぎを削るレベルの世界では、何ものにも動じない孤高の強さを持ったショーペンハウアー氏のような人に憧れる人が一定数存在するのは頷けます。世間の評価の良し悪しで作品の価値を決められてしまう作家や芸術の世界では特にそうなのでしょう。

 

ショーペンハウアー氏の我が侭ぶりを象徴する有名な逸話を一つ。

氏の友の一人と云われるゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ:1749年8月~1832年3月)から、或る時、「おまえの息子はきっと大成する」と言われた。普通なら嬉しい言葉です。ところが、"一家に一人しか大成する者は出ない"という持説を曲げないショーペンハウアー氏は、(彼は、自分のことを大成しないと思っている)という風に受け取った。友と言っても40歳近くも年上の先輩の言葉です。しかも、神聖ローマ帝国を代表する多彩な偉人ゲーテです。いくら自分に自信があったにせよ、素直に受け止めて「ありがとう」の一言と笑顔くらい返せばよいものを。尤も、この話は眉唾。この程度の作り話はあとからいくらでも書けますから。

そもそも、40歳近くの年の差がある人から見た時、ショーペンハウアー氏が何歳であろうと鼻たれ小僧の域を出ないでしょう。なので、「私から見たらまだまだお前には足りない部分も多くまだ大成したとは言えないし、大成したと言えるまでになるかどうかは分からない。が、お前の息子ならばきっと大成する。それほどおまえは優秀だ。」程度の事しか言えないでしょう。「おまえの息子はきっと大成する」という風に言葉を端折ると、その言葉の受け止め方も如何様にもねつ造出来る。

特異とされるショーペンハウアー氏の人物像には、後世が勘違いするようなねつ造話で脚色された部分が多々あるのかもしれません。ショーペンハウアー氏に限らず、歴史上の人々はそういうの多いでしょうね。

 

政治家の言葉、芸能人の言葉などもしょっちゅう端折られる。そして面白おかしい解釈が添えられる。にこやかに笑える解釈なら良いですが、悪意に満ちているものが少なくない。言葉(文節)を端折る、揚げ足を取る、そういう事を得意げに繰り返すマスコミギョーカイ人ってのは嫌いです。そして、まんまと騙されて悪意に加担する野次馬達も嫌いです。だから此方も、ただの野次馬にならないように人の言葉は最後までよく聞いた上で吟味しよう。

健康一番

多忙になったつもりはなくても、何でも先送りする怠惰な性格が災いして結構時間に追われてしまった。BLOG記事の書き直しくらいすぐに出来ると高を括っていたけど遅々として進まず、歴史系のBLOG記事の修正修了時期は全然見えません。

はてなBLOGでの書き直しが面倒なので、ライブドアにBLOG設けて、修正記事はそっちにアップ中です。何れは、こっちへ戻しますが2年以上掛かるかなと予想しています。

当BLOGは、同じ方法(修正記事をライブドア側にアップする)で全記事見直して、本日何とかはてなBLOGに戻って来ました。ブログのグループも、自分で作っておきながら失礼極まりなく放置してたのだけど、まだ存在してたので有難かった。暫くの間はライブドアBLOGにも同一内容の記事をアップしていくことになりますが、何れは元の鞘に納めるつもりでいます(ライブドア側の内容を変更する)。

 

昨年も夏前に感染症に罹って入院を余儀なくされましたが、今年もつぃ最近、細菌感染してしまいました。去年のは蜂窩織炎で、人に移す恐れがあり半ば隔離の意味合いもあり入院止む無しだったのですが、今年のは腸内感染だったので投薬で何とか治りました。でも、酷い下痢が一週間も続き(あ、食事中の人には申し訳ないです)、参った。そして治ったものの、この連日の酷暑。今夏は県内で酷い豪雨災害もあって、ボランティアさん達が被災地に大勢入っていらっしゃいますけど、ほんとにご苦労様です。此方は、健康回復に努め中ですが、県内なのにボランティアにも参加出来ずに本当に申し訳ないです。

===以上は、はてな限定===

 

偉人・賢人の多くに影響を与えたことで知られる哲人アルトゥル・ショーペンハウアー(1788年2月~1860年9月)は、「我々の幸福の90%は健康に依存している」という名言を残しました。まあ、その程度の言葉は、人類の歴史の中で10億人くらいの名もなき庶民が口にしたと思いますが、ショーペンハウアーのような賢才がそれを言えば名言として語り継がれます。健康であったが故に行かずに済んだ場所へ行き、不運な最期となった人も少なくないですが、何よりも健康が第一ってのは否定しようがない。今夏は、いつも以上にその事を感じています。いや、実際はもう数年前から夏は連日の猛暑であるのですが、年齢の積み上がったことと共に、今年は細菌感染による体力低下などが更に重なって、本当に健康こそが重要だと再認識させられました。

ところでショーペンハウアー氏は、「全ての苦しみを地獄の中に移し替えたら、天国には退屈しか残らないであろう」と言った。しかし、天国のような幸せな場所には退屈しかないのであれば、そっちの方が耐えられない。何の刺激もない世界を天国と思わねばならないというのはそれこそつまらない。だから・・・

人は(天国に等しき)平和を維持する為に、第一に健康を、第二に知性と孤独を愛し、第三に明朗であれショーペンハウアー氏は説いている。

知性と孤独を愛さねばならないというのは、言い換えれば、他人の考えを尊重し、たとえ孤独に陥ろうとも理性を失わない生き方を貫くべきだという事でしょう。そして常に健康的で朗らかであれば、けっして天国のような生活を失うことは無く、地獄のような苦しみ抜く日々とは無縁でいられるということ。

但し、他人の考えを尊重し過ぎてはならない。それは自分を卑下し過ぎることになる。驕り高ぶらず、静的で柔らかな心を持ち慎ましい姿勢は望ましいが、自分否定が過ぎて劣等感に苛まれることは不健康そのもの。何事も度を越さず適切に。そして他人とは適切な距離感で。距離感を間違うと過大、過少、過信の要因となる。周囲からは孤独に見られようと、それが周囲との正しい距離であるなら心が病むことはない。

哲学の言葉ってのは色々と教えてくれるけど、本の通りに覚えるのではなく、自分に理解し易く(言葉を)味わう。それが最も良い哲学書との付き合い方です。

恋の魔力

お金は人を狂わす(人を変える)と言われます。お金は、多くを得過ぎても、逆に失い過ぎても危険を伴う。ならば、貧乏であろうと金持ちであろうとそのどちらでもない普通であろうと、あまり変化がなく収入が安定していれば現在と極端に違わず狂うこともない。ところが・・・

お金は自分だけでは生み出せないが、自分にしか生み出せない"心の起伏"によって人は狂う(変わる)ことがある。そして誰にも変化を起こし得るのが「恋心」。

17世紀フランスを代表する劇作家モリエール(ジャン=バティスト・ポクラン:1622年1月~1673年2月)は、お金を描いた『守銭奴』や恋を描いた『女房学校』などで(それ以外にも多数作品あり)、人の心を茶化して見透かしています。特に女房学校では、 恋を偉大な教師に見立てる純情な青年(オラース)が、恋の力は別人にさえしてくれると言います。が、この青年が恋した無邪気な娘(アニェス)に同じように恋する金持ちの老紳士(アルノルフ)は、金の力で娘の心を操り結婚にこぎ着けようとする。

アルノルフは、市井に於いて、亭主が稼いで来た金を浮気相手に貢ぐような女達の多さを知り憐み、妻にするなら賢い(狡賢い)女よりも、無知(無垢)な女と決めていた。そして孤児のアニェスを引き取って修道院に寄宿させ育て、理想の女となったアニェスを妻に出来る日を待ち望んでいた。この辺りは、我が国の源氏物語で、光源氏が若紫を育て上げていくのをヒントにしたのではないかと思っています。ところが、親友の息子であるオラースがアニェスに恋をした。アニェスもオラースに惹かれていく。これに焦ったアルノルフはあらゆる手段に打って出るが、金の力に狂うアルノルフは、恋の力に狂うオラースに負ける。恋(愛)は金に勝ったという話なのですが、それもまた皮肉を込めているのでしょう。

 

恋する期間、人は相手に対して変化する。金を持っている期間だけ人がハイになるのと同じ。だが、恋が成就した時、恋を持続することは難しい。そして、心に鍵は掛けられない。もしも、次の誰かに恋した時、新たなる教師によって変えられた人は、前の恋を見限ってしまう可能性を大いに秘めている。金の終わりが付き合いの終わりとも言われる人間社会では、恋の終わりも(男女の)付き合いの終わりになり得る。

であるならば、恋するのはいとも簡単だが、恋の持続ほど困難なものはなく、故に、恋の持続を成す努力を怠った時、人は(一つの)幸せを失くすと考えられる。それが、最後の幸せであったかもしれないのに、先のことなど何も考えずに人は恋に走る。男であろうと女であろうと、恋も金も大切にしなければ変り果てる人生となる。